1万トンの待雪草を、彼女に

カウンセリングによる健康被害が続出中。臨床心理士(カウンセラー)の傲慢さと異常性を広く知ってほしい。苦しめられている方、あなたは悪くない。もっと怒っていい。【初めての方は、ブログ下部のおすすめ10記事からどうぞ】

臨床心理士(カウンセラー)の悪意の根源は、自らの人生と人格への後悔とコンプレックスにある。

こんにちは、スノードロップです。

7月は結構な量の記事を書いて、書籍の原稿も書いていたので少し疲れてこのブログは休んでいました。何事も無理は良くない。書いている内容が内容なので、作業量以上に疲れました。まだ過去をうまく消化しきれていないようです。書籍の原稿は、字数は一応埋まりましたが、内容にかなりの不満があるので、当初の予定よりももっと時間がかかりそうです。

あと少しだけ足をのばして海に行ってきました。自然のエネルギーに触れてまた一つ癒されました。自然はいいと思いますが、少し回復してこないととてもじゃないけど外出はできないし、強引にやっても効果はほぼないと思うので、体調と相談して無理はなさらずに。

 

ところで先日、引き続き病院に行ってきました。主に睡眠の話をしました。うまく眠れないことがあったので。

 

話の内容よりも、話し方が印象に残りました。

 

 

「笑い」の受け取られ方は、そこに悪意があったかどうかで大きく変わる

わたしが朝上手く起きられないことがあると言うと、笑われたけど嫌な気はしなかった。この人(主治医)は、ちゃんと相手の状態を観察し、相手に合わせて言っていることが伝わってきたからだ。つまりはわたしの回復のために思考を巡らせているのであり、そこに悪意はない。

 

一方、臨床心理士は全く正反対だった。彼女にも笑われたり馬鹿にされることは頻繁にあったが、こちらはひどく攻撃的で不快だった。疲労し傷つくだけだった。一切の有益な効果はなかった。

 

この違いは何なのかと言うと、その一つはそこに「悪意」があるかどうかだ。

悪意を持って人を傷つけようとしている人間と、善意でもって人を癒そうとしている人間との差だ。似たような行為をしても、その人物のそれまでの行動や言動、人格によってその受け取られ方は大きく変わる。意味合いは変わる。

 

ではなぜ臨床心理士たちは、そんな異常で自己愛的な行動に出なければならないのだろうか。

 

悪意の根源は、臨床心理士の激しい後悔とコンプレックス

それは結局、彼女たちが自分の人生や人格を後悔しているからだろう。強すぎるコンプレックスが歪ませてしまったのだ。

目の前の現実や社会の姿を見失うほどに。専門性を放棄し、素人以下の存在、害悪な存在となりクライアントを中傷して足を引っ張るだけの醜悪な怪物となってしまったのは。かわいそうな人だ。

 

他人を見下さないと気が済まない。他人を自分よりも低く位置付けないと気が済まない。若者に対しては幼いと言い、老人に対しては耄碌していると言わなければ気が済まない。自分以外のすべてを否定しなければ気が済まない駄々っ子。幼き迷子。ヒステリックに喚きたてるが、もう若さのかけらも残っていない。嫉妬することしか出来ない。

これらは結局、「自分を認めてほしい、褒めてほしい」という気持ちの裏返しだ。あるいは対象についての怯えだ。恐れている。怖がっているのだ。そしてその気持ちは歪んで変形し、複雑な形で表に現れている。

 

彼女たちが、否定チープなご機嫌取り・褒めるという行為でクライアントをコントロールしようとすることについても同様なことが言える。まともな神経をしていれば、人間はそんな簡単には騙されないし、見え見えの演技が通用しないことくらいはわかりそうなものだが、彼女たちにはそれがよく理解できない。自分自身が否定されたり褒められたりすることにひどく脆弱であるからだ。

 

彼女たちは他人に対して「人を見下している」とか、あなたは「幼い」「耄碌している」という批判ばかりしているとか、「あなたは何もかもを否定している駄々っ子だ」というようなメッセージを伝えようとしてくる。それは直接的であることもあるし、間接的にクライアントを自己否定へと導こうとする詐術の形であることもある。

これは臨床心理士自身の未解決の問題・未熟さの投影である。自分自身の問題を、クランアントの中に見出している。それは現実には存在しなかったり、大きさが違う虚像であったりもする。つまりは自己紹介でしかない。

 

このカウンセリングとは、クライアントがカウンセラーを回復させるものになってしまっているのである。お金を支払う側と受け取る側の実質的な役割が逆転してしまっている。

もちろん、一般人の余暇の時間ならともかく、カウンセラーのカウンセリングという枠組みの中で行われる行為としては決して許されることではない。

 

 

どうすれば日本の精神医療に巣食う癌細胞を淘汰できるのか

そういう人間を淘汰していくためには、やはり声をあげていくことが必要だ。

黙って耐えていても何も変わらない。その変化に怯える者は、「抗議の声」を挙げること自体を「幼い行為」だと中傷することもあるが、それは完全に間違っている。そんなことをしていては状況はどんどん悪くなり、取り返しがつかなくなっていく。本当に幼いのはそういう中傷を行う者自身だ。

 

声をあげるのはネット上に多数ある病院の口コミサイトでもいいし、このブログのようにブログでもいい(ブログの場合は、検索エンジンから人が来やすいようなタイトルにすることが重要)。これはまだ訪れていない人をより良き場所へたどり着くための一つの道しるべにもなりいうるし、すでに訪れた人が現状の異常性を認識してより良い回復の道を歩むための一つのしるべにもなりうるし、傷ついてしまった人が癒されるための言葉にもなりえると思う。そして何より自分自身も癒されていく。反省できない輩には、罰を与えなければならない。

そういうものが積もり積もれば、日本の精神医療に巣くう癌・臨床心理士というこの社会問題はほんの少しずつでも前進していくはずだ。

 

ところで、昔あのカウンセラーは、ネット文化やネットにおける発信をひどく嫌悪し、警戒し、恐れて怯えていた。ならやってやろうじゃないか。お前の悪行を白日の下にさらしてやろうじゃないか。それが突かれたくない弱点なんだったら、積極的にやる価値がある。

 

そりゃこっちだって余裕がないんだから、回復のためにお金を払って来た場所で誹謗中傷を受ければ怒るよ。長い目で見ても何の結果も出さず、誹謗中傷を繰り返すプライドだけが高い無能なら見限って首にするよ。お前は何をしに来ているんだ。人の話をろくに聞かず、全否定して歪んだ強引な解釈しか出来ず、「私を褒めて!」という絶叫のような偏った考えの押し付けなんて通用するわけがないじゃないか。もっと現実をみたほうがいい。もっとちゃんとした人と、ちゃんとかかわった方がいい。それを放棄してきたのか苦手なのかは知らないし興味もないが。

 

あまり調子に乗らないほうがいい。何を勘違いしてるのかは知らないが。かわいそうだな。人類の最底辺は。

 

 

メジャーな病気の知識すら欠いている人間に何ができるのか?

話を睡眠に戻すと、そういや昔、あのカウンセラーはわたしが医師からうつ病の診断を受け、身体症状等も出ていてまともに動ける状況でないことをはっきりと繰り返し伝えたのにも関わらず、「サボってないで外に出て行動しろ」とか、「家で寝てばかりではいけない」と言うことを何度も言ってきた。しかも、身振り手振りまで添えて、自分が正しくてお前が間違っているのだと、ひどく自分に酔っている様子だった。

 

うつ病と言うメジャーな病気の基本的な病識すら欠いているのか。現実への適用に失敗しているのか。専門性のかけらもないなぁ。恥ずかしくないのか? 君の病気はどんなに時間をかけても治らないようだね。死ぬまで。

 

これは本質的に、「それよりも私のほうが大変、私を助けて!」という叫びだったのだろう。かわいそうな人だ。

しかし、カウンセリング、自らの生業と称してそんなことをしている人間が幸せになれるわけがない。

 

 

 

"みんなのメンタルヘルスが平和になりますように"、スノードロップでした。

 

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