あなたがカウンセラーでないなら、弱い部分があることは悪いことでも恥ずべきことではない。
このブログの攻撃力が高すぎて、ターゲット以外に刺さってないか心配になるときもあります。しかしわたしはカウンセラーをはじめとする精神医療・福祉などに関わる人間以外を叩くつもりはありません。
これらの対象を批判する観点や切り取り方として、いろんな角度が考えられると思うのですが、わたしは「人間の弱さ・未熟さ・能力の低さ・歪み」のようなものをしばしば焦点にしています。
しかしこれは、「カウンセラーとして不適格だ。クライアントに著しい悪影響を与えている。詐欺的行為だ。」と言っているわけであり、「未熟さや能力の低さ」がどんな人間にとっても悪いことだとは言っていません。補足しておきます。
カウンセラーという仕事が特殊であり、どういうわけかカウンセラーとしての適性や強みを持たない者がやりたがること、行う者のメンタル面の影響が他の仕事よりはっきりと大きいことなどが理由としてすぐあげられます。
でもわたしたちのようにカウンセラーでない人間なら、「どこが弱かろうが強かろうがそんなの人の勝手、自分の人生をどう生きて、どういう能力を伸ばすか伸ばさないかなんて自由だろう」と思ってます。
例えば「未熟さ」といっても、それはまだ可能性があるということであり、余白が残されているということであり、何も悪いことでも恥ずかしいことでもありません。
どんな順番でどんな物事や分野に取り組むか取り組まないかなんてその人の自由でしょう。他人が口出しすることではない。
「もう自分の変化の可能性や余白を使い果たした上で、課題がこびりついている」よりも、「未熟」であることは余程勝っていると言えます。
そもそも、人が弱さを持っていることなんて当たり前で、誰にでも弱い部分と強い部分がある。完璧な人間なんて一人もいない。
そして弱い部分は苦労していることなので目がいきやすいけど、強い部分は当たり前にできることなので気づきにくかったりもする。
なのでわたしは、自分の弱さに直面した時、「でも、強い部分もあるんじゃないか?」「わたし個人の弱さではなく、ヒトという種族共通の弱さなんじゃないか?」という俯瞰の視点を考えるようにしています。
冒頭にも貼ったこの動物園(zoo)の画像でいうと、ゾウならゾウ、ライオンならライオン、キリンならキリン、パンダならパンダの生き方をすればいい。それぞれの弱みと強みを持っていて当然。
人間の中にはいろんなタイプの人がいて、それぞれの強みと弱みがあり、それに合ったやり方がある。
(臨床心理士は自分たちのやり方が万人に共通する唯一の正解である、それ以外はすべて間違いだ、というようなことをよく主張しますが、それはあまりにも馬鹿げています)
精神が不調なときほど、これはなかなか難しさもありますけどね……。
なのでわたしは音楽をよく聞いてます。こういう気分の時はこの曲、と決めておけばうまくいっているときの地点に立ち返ることができます。
音楽は個人の好き嫌いがかなり大きいので万人におすすめできる曲はなかなか思いつきませんが、わたしは今このブログをブルーハーツを聞きながら書いています。いい感じです。とくに初期のアルバム。
(あるいはわたしはブログを自分の考えをまとめたり、備忘録のような意味合いでも書いています。ブログでも紙でもなんでも、書き留めておくこともおすすめです)
そういや少し昔、関連してこんな記事も書いてたね。ブルーハーツじゃないけど。
ちなみに、ブログ初期に考えていた本を出すというプロジェクトは長期休止しています。いまは書きたいことをバーッと書くくらいで、あまり内容を練りこめるほどの精神的なエネルギーがなかなか出てこないので…。