上から目線の臨床心理士(カウンセラー)は「クライアントが認知の歪みを抱えている」という認知の歪みを抱えている
臨床心理士(カウンセラー)と話していると、「この人、思い込みが激しいな、現実とは違うことばかり言葉にしているな」と思ったことはありませんか?
それは臨床心理士が現実とは違う歪んだ現実認識をしている、つまり「認知の歪み」を抱えているからなのです。
認知の歪み(にんちのゆがみ、Cognitive distortion)とは、誇張的で非合理的な思考パターン(irrational thought pattern)である。これらは精神病理状態(とりわけ抑うつや不安)を永続化させうるとされている。
この概念は精神科医アーロン・ベックが基礎を築き、彼の弟子のデビッド・D・バーンズがその研究を引き継いだ。最も有名なのはバーンズが1989年に著した『フィーリングGoodハンドブック』であり、これらの認知パターンを学び、かつ除去する方法を記している。
こういった思考パターンは、その個人に現実を不正確に認識させ、ネガティブな思考や感情を再強化させうるとされている。バーンズは、気分や感情は事実ではなく、逆に「歪んだ考え方がマイナスの気分を生み出す」と述べている。(wikipedia:認知の歪みより引用)
彼女たちの歪みはかなり重症であり(もはや手遅れともいえるかもしれない)、その「認知の歪み」は多岐にわたります。現実がろくに見えていない、一般人に比べてかなり能力が低いわけですが、それなのにふんぞり返っているのが臨床心理士の特徴です。
この記事では、臨床心理士がクライアントをどんなふうに決めつけているのか、歪んだ思い込みででっちあげていくのかと言うことについて語っていきます。
まず、認知の歪みについての研究の第一人者のバーンズによると、10パターンが挙げられているので、上記のwikipediaより引用します。ここから繰り返し引用しながら議論していきます。
(「現代の」「日本の」心理学は、臨床心理士が関わっているとでっちあげの偽物である可能性が高いですが、海外の心理学は基本的に信頼できます)
バーンズは以下の10パターンを挙げている。
以下では、この中のいくつかについて一つずつ具体的に見ていきます。
スプリッティング(全か無かの思考)
詳細は「分裂 (心理学)」を参照スプリッティングともされ、グレーがなく、物事を全てを白か黒かで認識するという、誤った二分法を用いること。オール・オア・ナッシング(all-or-nothing)であり、少しでもミスがあれば完全な失敗だと考える[3]。
臨床心理士は、クライアントの発言や行動について、自分の中の価値観や考え方に少しでも反する部分があると、「完全な失敗」だと考えています。これは認知の歪みです。現実とは異なります。
あなたも、下らない揚げ足取りをされたことはありませんか? 少しくらいミスがあったって、完全な失敗ではない。臨床心理士がそう印象付けようと、誘導しようとしているだけなのです。本当は、あなたは完全に失敗しているわけではないのです。成功している部分もあるのです。
偉そうな態度や発言を繰り返しているのにもかかわらず、それを指摘できないのなら、カウンセラーとしてひどく未熟なだけではなく、人間としても極めて幼稚ですね。フェアではない。単なる詐欺師だ。
~すべき思考
他人に対し、その人が直面しているケースに関係なく、彼らは道徳的に「すべきである」「しなければならない」と期待しすること[3]。
(中略)
- 「人は、他人に尽くさなければならない」
- 「私は、全ての人に愛されなければならない」
- 「絶対にミスをしてはならない」
「その人が直面しているケースに関係なく」「道徳的にすべきであると期待している」これはまさに臨床心理士の中核を占める特徴ですね。
現実はそんなに甘くないので、ときには「褒められたやり方」を放棄しないといけない時もあります。まともに働いたことがある人ならだれでもわかるはず。ろくな社会経験(対人経験)を積まずに、現実から逃げてでっちあげた空想的な論理の中に逃げ込み、身内だけで慰め合っている人たちには理解できないようですが。
「他人に尽くす」余裕がない時期もあるし、尽くさなければならないわけでもない。別に万人に好かれる必要はない。ミスをするのが人間だ。当たり前のこと。しかし、臨床心理士にはこの現実がよく理解できないようです。
行き過ぎた一般化
行き過ぎた一般化(Overgeneralization)とは、経験や根拠が不十分なまま早まった一般化を下すこと。 ひとつの事例や、単一の証拠を元に、非常に幅広く一般化した結論を下すことである。たった一回の問題発生だけで、その問題は何度も繰り返すと結論付けてしまう[7][2]。
- 「彼女は今日挨拶をしてくれなかった、きっと私を嫌っているに違いない」
臨床心理士は、クライアントの行動や発言で一度うまくいかないことがあったり、1日やある特定の時期にだけ起きたような不具合が、何度でも繰り返されている問題だと結論付けています。自分が安心するための、防衛的な反応というわけですね。
例えば、クライアントが「職場の人とうまくいかないことがあった」という話をすると、臨床心理士は「この人は職場の人といつもうまくいっていない人だ」という判断を下しています。他の相手、他の日や、他の時期、他の場所ではうまくいっていた場合もある。その可能性や事実を見落としている。
わたしもまさにこの事例に直面したことがあり、「それは誤解だ」と何度も訴えましたが、最初から嘘だと決めつけているようで全く改める気がないようでした。これも認知の歪みです。以下の3つあたりに当てはまりそう。
心のフィルター
選択的抽象化(selective abbreviation)ともされ、物事全体のうち、悪い部分のほうへ目が行ってしまい、良い部分が除外されてしまうこと[8]。
- 「試験において100問中、17問も間違えた、自分は落第するに違いない」[8]
臨床心理士はよほど自分に自信がなく、コンプレックスにまみれているようなので、クライアントの良い部分を認めることができません。どうでもいい、子どもでもできそうなことを取り上げて「認めているふり」は頻繁にしていますが。それは挑発でもあり、否定ですらある。それに作り笑いが加わっていたら、ダブルバインドというひどく暴力的な現象を引き起こします。関連記事を貼っておきます。
マイナス化思考
マイナス化思考(Disqualifying the positive)では、上手くいったら「これはまぐれだ」と思い、上手くいかなかったら「やっぱりそうなんだ」と考える[9]。良い事があったことを無視してしまうばかりか、それを悪い方にすり替えてしまう[9]。
クライアントがうまくやったらまぐれ、うまくいかなかったらやっぱりそうなんだ、という風に思い込んでいる、すり替えてしまうということですね。
拡大解釈、過小解釈
「針小棒大に言う」ともされる。失敗、弱み、脅威について、実際よりも過大に受け取ったり、一方で成功、強み、チャンスについて実際よりも過小に考えている[11]。
クライアントが「これはちょっと苦手だ」と言っただけで、臨床心理士はそれを「大問題」かのように受け取っているということですね。
本当はあなたは大した失敗などしていなくて、弱みも大したものではなく、むしろ強みやチャンスを持っている。わたしは、自分の標榜している仕事を果たさず、サボっていて、それを人のせいにしている誰かの代わりにこう主張していきたいと思っています。だって、本当にそう思ってるし。
わたしは割と固めな記事を書く方ですが、「この記事をここまで読んである程度理解する」ということは、誰にでもできることじゃないです。書き手に回るとよく理解できますが、他人に自分の書いたものを読んでもらう、理解してもらうということは簡単じゃないです。うまくいかなかったことが何度もある。伝えようとしていることを受け取ってくれる層というのは、限られているし本当に有り難い。独り言だとモチベ下がるし感謝しています。とくにこのブログに書いているようなマニアックな内容はね。
レッテル貼り
行き過ぎた一般化のより深刻なケースである[13]。偶発性・外因性の出来事であるのに、それを誰かの人物像やこれまでの行動に帰属させて、ネガティブなレッテルを張ることである[13]。間違った認知により誤った人物像を創作してしまうことであり、これは自分、他人を問わない[13]。
このようなことになるのは、レッテル貼りというのは、ある事象を言語で記述する際に、人の行動を評価する強力な説明能力を持っているからである。
臨床心理士は、クライアントが何かにつまずいたりすると、「若い人に対しては幼い・未熟だ」「お年寄りに対しては耄碌している・認知症のきらいがある」とよく判断しています。これはレッテル貼りですね。本当は、「偶然性・外因性の出来事」(つまり、単なる偶然だったり、原因が他にある)なのにね……。
そしてその「間違った認知により誤った人物像を創作」しているということを、わたしは「でっちあげ」と上述しています。
この「でっちあげ」は、クライアントに対してだけではなく、臨床心理士の自己像にも及んでいます。現実には何の結果も出さずに、悪意を持って来訪者を傷つけているだけなのに、自分はいいことをしているすばらしい人間だと思い込もうとしている。異常な詐欺師ですね。税金が投入されている病院などの施設なら、税金泥棒でもありますね。
さらには、こういう「自己像」と他人からの評価のギャップに怯えるあまり、それをクライアントに押し付けて、そのずれを抱えているのはお前だ、というようなカウンセリングを行うこともあります。わたしも直面したことがあります。
感情の理由づけ
感情の理由づけ(Emotional reasoning)とは、単なる感情のみを根拠として、自分の考えが正しいと結論を下すこと[12]。ネガティブな感情は、物事の真実を覆い隠し、人間に、その感情にリンクした考えのほうを現実らしく経験させる[12]。感情によって作り出された「認知」が、正しいかどうか常に検証することにより、この「心の監獄」から抜け出すことができる[12]。
これは、臨床心理士の全ての判断に影響しています。結局、これなんですよね。自分が「好きだ・快い」と感じたことを「正しい」と判断し、「嫌いだ・不快だ」と感じたことを「間違っている」と判断している。
なので、臨床心理士にとっては、「個人的に好きな人間・合う人間・クライアント」は正しく優秀であり、「個人的に嫌いな人間・合わない人間・クライアント」は間違っていて無能だと思い込んでしまっているんですね。もちろん、現実とは違っています。
こういう批判に怯えるあまり、逆にクライアントに対して、「お前は感情の理由付け」を行っているというようなカウンセリングを行うことがあります。いわゆる「非対称性」を築いている、というわけですね。
そりゃ誰しもある程度歪んでいる部分はあるし、あってもいいんだけど、臨床心理士以外の人間のこころはそんなに単純ではありません。もっと多面的です。そりゃそんな風に思ってしまうこともあるかもしれないけど、全てがそうではない。人と関わった経験が少なすぎて、ちゃんと相手と話すのが苦手すぎて理解できていないようですが。
おわりに
臨床心理士のカウンセリングは、クライアントを見下して攻撃して決めつけて自分を慰める、自慰のようなものです。誤りや歪みを正してあげているのは、クライアント側という状況になっているのです。それがまた一つ明らかになったのではないでしょうか。
本当は「認知の歪み」を抱えているのは臨床心理士のほうなのに、偉そうに・的外れにクライアントの「認知の歪み」をドヤ顔で指摘したり、捏造したりしています。一つの行動や発言を取り上げて、「レッテル貼り」をしている。現実とは違う人物像を自分の頭の中だけで妄想のように作り上げている。さらに「感情の理由付け」も入ってるか。
これが、タイトルの”臨床心理士は「クライアントが認知の歪みを抱えている」という認知の歪みを抱えている”ということになります。
こういうカウンセラーからはすぐに離れた方がいいです。遠慮なく首にしてやりましょう。日本の「専門家」によるカウンセリングはひどいものがかなり多いですが、やるとしても口コミや評判を検索して、もっといい他をあたりましょう。
そしてそのカウンセラーは、病院の口コミサイトなどに口コミ・評判・評価を書いてあげましょう(冷静に、合法的な範囲でね)。これであなたの完全勝利ですw 後から来るかもしれない被害者を減らすこともできます。とても有益な情報となります。
どうも、ご無沙汰してますスノードロップです。1か月に2記事以上の更新という目標なのですが、10月は1記事しか更新できませんでした。
でもまぁいいかぁ。毎回、字数が多めのヘビーな記事ばっかり書いているし。目標のためにどうでもいいことや、心にもないこと書いても仕方ないし。こんな風に思えるのも大事だって、改めて思います。機械的な・画一的な取り決めやルールより、もっと柔軟な対応こそが大事で、本質的で効果的で結果につながるのだと思います。
「みんなのメンタルヘルスが平和になりますように」そう願って書きました。以上です。
まぁまぁの長文記事でした。共感した・参考になる部分が少しでもあったらSNS等でシェアしてね↓ それと関連記事とか初めての方への10記事からもう1記事どうですか?