臨床心理士の卑怯な質問に答えてやる必要はない。幼児的な「教えて君」「かまってちゃん」なんだ。
臨床心理士というのは基本的に極めて卑怯なやり口を使います。こちらが明らかにしている軽めの自分に関する情報(例えばフルネームや年齢など)すら隠そうとしてきます。
こちらが年齢を尋ねると、「なぜあなたはそれを知りたいと思ったの?」が定番の切り返しとなっています。しかし、はぐらかされてはいけません。何度でも聞いてやりましょう。10回でも20回でも同じ質問を繰り返して懲らしめてやるのも面白いかもしれません。時間の無駄なのでおすすめはしませんが。
「人として当たり前のフェアな感覚・考え方」を身につけられていない馬鹿の相手をしていても仕方がないので。よほど自分に自信がなく、叩けば埃が出ることをやっているようですね。それを臨床心理士自ら示してしまっている形になっています。
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このように、自分は質問に答えずに、何も示さずにひたすら幼稚な敗走を繰り返すわけですが、クライアントに対しては上から目線で偉そうに質問を投げかけてきます。ドヤ顔が付属してくることも珍しくはない(誰でも前から分かっているのに、君がいま初めて気づいたことを得意げに指摘することほど知性の欠如を示すものはない)。
もちろん、それらは回復に寄与することはなく、単なる自己満足・未熟な自尊心自己愛を満たすためです。甘えているというわけですね。臨床心理士を相手にするはめになったときは、クライアント側がカウンセリングをしてやっている。未熟なこころを育ててやっている。間違いを正してやっている。ということが残念ながら現実に起きていることです。馬鹿馬鹿しいですが。本当に。
続きを読む上から目線の臨床心理士(カウンセラー)は「クライアントが認知の歪みを抱えている」という認知の歪みを抱えている
臨床心理士(カウンセラー)と話していると、「この人、思い込みが激しいな、現実とは違うことばかり言葉にしているな」と思ったことはありませんか?
それは臨床心理士が現実とは違う歪んだ現実認識をしている、つまり「認知の歪み」を抱えているからなのです。
認知の歪み(にんちのゆがみ、Cognitive distortion)とは、誇張的で非合理的な思考パターン(irrational thought pattern)である。これらは精神病理状態(とりわけ抑うつや不安)を永続化させうるとされている。
この概念は精神科医アーロン・ベックが基礎を築き、彼の弟子のデビッド・D・バーンズがその研究を引き継いだ。最も有名なのはバーンズが1989年に著した『フィーリングGoodハンドブック』であり、これらの認知パターンを学び、かつ除去する方法を記している。
こういった思考パターンは、その個人に現実を不正確に認識させ、ネガティブな思考や感情を再強化させうるとされている。バーンズは、気分や感情は事実ではなく、逆に「歪んだ考え方がマイナスの気分を生み出す」と述べている。(wikipedia:認知の歪みより引用)
彼女たちの歪みはかなり重症であり(もはや手遅れともいえるかもしれない)、その「認知の歪み」は多岐にわたります。現実がろくに見えていない、一般人に比べてかなり能力が低いわけですが、それなのにふんぞり返っているのが臨床心理士の特徴です。
この記事では、臨床心理士がクライアントをどんなふうに決めつけているのか、歪んだ思い込みででっちあげていくのかと言うことについて語っていきます。
続きを読む効果がない意味も無い悪化しただけのカウンセリングを振り返って気づいた13のこと
利用者のわたしが、実際に受けた効果がなく悪化しただけのカウンセリングを振り返って気づいたことを書いていきます。なぜ続けてしまうのか、続けてしまうとどうなるのかを詳しく書いているので、やめるための参考になるかもしれません。
うつの人は自分を責めている。責めすぎている。もっと怒っていい。
あるいはPTSDにもよくあることみたいですが、加害者に対して否定的なジャッジメントを行うだけでなく、自分自身に対しても否定的なジャッジメントを行ってしまっています。自分を許せていない。
ああすればよかった、こうすればよかった、そうできなかった自分を責めてしまっている面がある。人間ってもっと不合理で調子に波のある生き物のはずなのに。
関連:
【書評】水島広子「トラウマの現実に向き合う―ジャッジメントを手放すということ」が治療者から受けたトラウマを抱える人にとっての超良書だった。
まあ、自分の話でもあるんですけどね。なので、それを解きほぐすべく、大きく悪化したカウンセリングを振り返って気づいた内容を書いていきます。
なぜわたしは臨床心理士の意味の無いカウンセリングを素早く中断できずに、約半年間も続けてしまったのか、その13要因
改めて振り返ると、13の要因に分解できました。
当時すでに、医師にうつ病と診断されていました。そのためもともとの性格とは別に、一時的な変化が起きていました(もともとの自分と一時的な変化を分けるべきだということは、上記で示した関連記事の本に示されていたので改めて強調しておきます)。
- 自分に自信がなかったから。他人より自分が間違っているんじゃないかとまず考えてしまう。
- 何をやってもなかなか効き目を感じられなかったので、効き目がない悪影響のあることでも続けてしまった。
- すでに傷ついていたので、何に癒され、何に傷ついているのかは時間が経たないとはっきりとしてこなかった。
- もともと、真面目すぎる性格。有益なことなら、苦難に耐えてでもやり抜くべきだと思っていた。
- そもそも、カウンセリングという行為自体が、すぐに効果が出ないと思い過ぎていたから。
- これらの自己否定の傾向が、カウンセリングの中でさらに悪化していったから。
- うつで精神的なエネルギーが低下し、頭の回転がにぶっていた。人は何かをやめるのにもエネルギーを使う。そのエネルギーがなかった。判断する気力がなかった。
- 相手を論破したい、証明したいという気持ちが強かった。煽り耐性がなくなっていた。これも自信がないから、確かなものが欲しかった。(論破して、相手の見立てが間違っていたことを示してから避難した。そのときの相手の動揺っぷりはかなり笑えたけど、本当はもっと早い段階で離れるべきだった。首にすべきだった。関連: 【体験記・長文】傲慢で性格の悪い臨床心理士(カウンセラー)は、使えない )
- そのとき、周りに頼れる人がいなかった。
- これは精神的な自傷でもあったと思う。
- 試行錯誤の途中。色々試していた。どれが効果があって、どれに効果がないのかをじっくりと見極めたかった。「効いた!」という状態をよく知らなかったので、「失敗」を見極めるのに時間がかかった。
- 臨床心理士の異常性や歪みは複雑な形をしている。嫌悪感はものすごいが、その原因はある程度時間が経ってからでないとわかりにくかった。
- 心の傷は、時間が経ってから痛むことがある。混沌としていて、何に傷ついていたのか、時間が経たないとはっきりしてこないことがある。
以下、さらに分析していきます。
続きを読むなぜまずいラーメン屋は潰れるのに、悪いカウンセラーは路頭に迷わないのか。だとすれば、どうすればいいのか。
まず前提として、このブログでは毎度のように繰り返していますが、日本の精神医療は崩壊しており、とくに臨床心理士(カウンセラー)についての批判をここでは扱っています。(過去記事整理しました。ブログ下部の初めての方への10記事からどうぞ!近々、過去記事を整理するのでそちらもご覧ください。)
「じゃあどうすればわたしたちは救われるのか、わたしはこのブログで何を目指しているのか」という青写真について今回の記事では語っていきたいと思っています。
こんにちは少し間が空きましたがスノードロップです。
月にできれば2回くらいは更新していきたいと思っているのですが、わたし自身も当事者で、現状、体力にも気力にも余裕がないのでどこまでやれるかはわかりません…。しかしそれでも無為に終わらないための方法を今回の記事で考えています。
(あと、ツイッター等でこのブログを拡散してくださった方々、ありがとうございます。ちゃんと気づいてます。毎回のように発狂しているこんなブログを拡散するのは勇気が要ることだったと思います。感謝しています。
ブログをもっと見やすく整理しておけばよかった…。しかし、こういうブログを書いていると、いかに臨床心理士に対して強い憤りを感じている方が多いかということをひしひしと肌で感じます)
まずいラーメン屋は潰れるのに、悪いカウンセラーが路頭に迷わないのはなぜか
この問いは、なかなか難しく、色んな観点からの回答が考えられると思います。わたしは飲食店経営等には詳しくありませんし、これが良い例え話かはわかりませんが、少し頭を働かせてみます。
それぞれの得意分野や適性によって思いつくことは変わってくると思いますが、わたしの場合は二つの要因が大きいと考えます。
- 自分にとっての「まずいラーメン」は明らかだけど、カウンセリングが効果を上げているのかどうかはわかりにくい。そしてそのことをカウンセラーが悪用して自らの失敗から目を逸らして、「効果が出ないのはサービスを受ける側に責任がある」あるいは「効果が出ていないのに効果が出ている」という風に思い込ませようとしているから。
- まずいラーメン屋は、多くの場合食べログ等の口コミサイトで可視化されていくが、悪いカウンセラー(カウンセリングルームや病院)の情報が十分に出回っていないから。
森林浴がうつ病などの病気に効くと聞いて行って来た話。匂いでリラックスした。予想以上のパワー。
こんにちは、スノードロップです。
8月の終わりに森林浴をしてきました。その時感じたことについて書きます。
森林浴は、うつ病やメンタルヘルスの安定に効果があるらしいです。他にも癌にも効くらしいです。でも、ある程度元気が出てからじゃないととてもじゃないけど行って帰ってこれないと思うので、無理はなさらずに。わたしも無理して悪化したことがあります。
森に入って樹木に囲まれると、普段使わないくらいに五感がフルに働いているのが感じられました。その中でも特に、空気がおいしい・匂いが好きと思っていました。
あとで調べてみると、これは「フィトンチッド」と呼ばれる物質が関わっていて、リラックス効果があるみたいです。
のどかで乗客の少ない電車に乗って行きました。こののどかさとか、時間がゆっくり流れている感じがすでに好きだと思っていました。
本題からはちょっと外れるけど、忘れ去られたような、何に使うのかもよくわからない道具が置いてある小屋とか、黄緑色に瑞々しく光っている田んぼとか、まばらでちょっと古めかしい民家とか。
帰りに温泉に入ったけどこれも良かったね。温泉もリラックスやうつに良いと昔読んだ本に書いてありました。たくさん歩いた疲れも取れるし。
本題に戻ると、わたしの感じたところでは、森林浴をするとすごく癒されて、優しい気持ちになってきました。自然からパワーをもらえるというか、元気が出てくるというか。
他人を利用したり騙そうとしている人はいないし、そもそも人間の数が少ないし、圧倒的な自然な生命力や多様性を全身で感じていると、喧騒が忘れられそうな、薄まってくるような感覚になってきます。自分の記憶や内面の中の、不自然なものや醜いものの割合が下がり、自然なものや美しいものの割合が上がっていくのを感じました。
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