1万トンの待雪草を、彼女に

カウンセリングによる健康被害が続出中。臨床心理士(カウンセラー)の傲慢さと異常性を広く知ってほしい。苦しめられている方、あなたは悪くない。もっと怒っていい。【初めての方は、ブログ下部のおすすめ10記事からどうぞ】

【歌詞・解釈・意味】尾崎豊「シェリー」の、切なさと破滅と孤独が好きだ。

こんにちは、スノードロップです。

現在、アマゾンで出すための本(うつ病PTSD体験記)を書いています。原稿は9割方完成し、編集作業に入っています。この思いが誰か一人にでも届きますように。誰かを癒せますように。願うだけじゃなく内容も練りこんでいきます。書くことは癒しです。

 

さて、本題の尾崎豊シェリー」について。わたしはいわゆる世代ではないのですが、尾崎豊には共感します。彼に付きまとう孤独と破滅の影が好きなんですよね。そしてすごく繊細で、真摯で、まっすぐで……。

ライブ映像などを見ていると、一曲一曲に命を削って魂を込めて歌っているんだな、その瞬間に全力を尽くしているんだなということが伝わってきます。「本物」ってこういうことなんだなと思わせてくれます。同時に世間にはいかに偽物があふれているかということが見えてくる気がします。

 

シェリー」の歌いだしより引用。歌詞の全体はこちら

シェリー 俺は転がり続けて
こんなとこに たどりついた
シェリー 俺はあせりすぎたのか
むやみに何もかも
捨てちまったけれど

「転がり続けて」という表現が好きです。たどりついた場所は「こんなとこ」。まだ満足していない。「たどりついて」はいない。望むべく場所には。

そして「俺はあせりすぎたのか」。シェリーはセカンドアルバム『回帰線』に収録されているので、シンガーソングライターになることを決めて、色んな試行錯誤があって、「15の夜」「I LOVE YOU」などの名曲を発表し、このときを迎えているのだと想像しますが、その地点から過去を回顧しているような響きがあります。そんな含みを感じます。ここにたどりつくまでにはきっと、「むやみに何もかも捨てちまった」。哀愁があります。なんかわかる気がします。

わたしも病気で、今日を迎えるまでに色んなものを捨ててきました。捨てざるを得ませんでした。そういったもの、過ぎ去っていったものたちを想うと胸が痛みます。晩年の尾崎豊は「罪」というテーマを歌うことが増えますが、わたしも罪悪感を覚えることが結構あります。自分の場合、PTSD(複雑性)の症状の一つなんですけどね。

 

シェリー いつになれば
俺は這い上がれるだろう

そしてこう、繰り返されます。「たどりつけるだろう」とともに、繰り返されています。やっぱり現状には満足していない。むしろ低い位置にいると感じている。

 


シェリー 俺は歌う
愛すべきもの すべてに

ああ、なんて優しいんだろう。まっすぐなんだろう。純度が高いんだろう。

彼の音楽は、いつになっても、何年たっても、色褪せることはない。数少ない「本物」だから。替えが効かないんだ。こんなに真摯に生きられる人、いないよ。

 

回帰線

回帰線

 

 

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